わたしの好きな詩

こんにちは、亜希子です。

突然ですが、詩は好きですか?

わたしがもしそう聞かれたら「ふつうです」と答えます。
わたしにとって詩は身近ではなく、世間で有名な詩人の名前や詩を知っているくらい。
詩に興味があるかないかと聞かれれば「ない」に分類されるでしょう。

それなのに。
わたしにも好きな詩があるんです。

今日はその詩について紹介させてください。

わたしはその詩に学生のときに出会いました。
高村光太郎の「レモン哀歌」という作品でした。

「レモン哀歌」
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしくも白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
(1996年 講談社 高村光太郎『恋文 画集・智恵子抄』37Pより一部引用)

教科書でその詩を習ったとき、わたしは泣きそうになりました。
その前後に高村光太郎と千恵子の生涯について録画を見せてもらったので、その影響もあったかもしれません。

そして、その録画の中で出会った「人に」という詩もまた、わたしに強烈な印象を残しました。

「人に」はお嫁にいこうとする千恵子にむけて光太郎がつくった詩です。
「あなたがいってしまうのがいや」ということを切実に詩にしていて、それはまでプロボーズのよう……。

わたしは、そのふたりの関係に強い憧れを抱いたのかもしれません。

このふるぼけた詩集・画集は、高村光太郎の詩について興奮して語るわたしに、友達が誕生日プレゼントして贈ってくれたものです。

もう20年以上前のことです。
結婚しても、引っ越しをしても、ずっとわたしのもとにある宝物。

残念ながら、この詩集には「人に」が入っていません。
最後のページにわたしの字で「人に」の詩が書きこまれています。

高村光太郎の詩に出会ったあと、なんと20年ほどわたしは好きな詩に出会いませんでした。

それなのに。
また出会ってしまったんです。

この長田弘さんの『人はかつて樹だった』という詩集を、わたしは働いていた大学の研究室で見つけました。

ぱらぱらとめくり……

最初の詩に衝撃を受けました。

「世界最初の一日」
水があった。
大いなる水の上に、
空のひろがりがあった。
空の下、水の上で、
日の光がわらっていた。
子どもたちのような
わらい声が、漣のように、
きらめきながら、
水の上を渡ってゆく。
(2006年 みずず書房 長田弘『人はかつて樹だった』6-7Pより一部引用)

上の詩は詩の一部です。
わたしは、なんてうつくしい詩なんだろうと驚きました。
ちょうどそのころ、わたしの心が疲れていたのが影響していたのかもしれません。
清らかでうつくしい風景が目に浮かぶようでした。
詩がこころに染みこむなんて、わたしには経験のないこと。

職場で読んだので、家に帰ってからすぐにインターネットで購入しました。

なんでも出会いなんだなあ。
無理して詩を読もうとしなくても、知らず知らずに出会うこと。
出会いだからこそ、ちょくちょくやってくるのものではなくて、わたしの場合20年の間に出会った好きな詩人はふたりなんです。

そらんじてはいませんが、こころに寄り添ってほしいときに、そっと詩集を開きます。

みなさんにも素敵な出会いがありますように。

お読みいただきありがとうございました。

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