歴史上の人物 帰蝶(濃姫)

歴史

こんにちは。

11月になり今年も終わりが近づいてきましたね。

コロナ禍で延期が続いた『麒麟がくる』は、年末に終わらず2月まで続くと決定したのでほっとしています。

内容を減らしたり途中で終わったりしたら悲しすぎるから。

主役の十兵衛(明智光秀)はいつも青系の着物を着ており、若いころは鮮やかな色、40歳を超えた今は紺色の着物に変化しています。

主要人物の年齢が上がり、髭をはやしている人が増えてきました。
でも、女性陣は相変わらず老けない!

個人的には、大河ドラマはメイクで老けさせてほしいなぁと思ってしまいます。
老けさせても美人なのは変わらないんだからいいじゃないかと。
ツルツルの肌に白髪が増えるくらいなので、リアル感がないんですよね……。

それはともかく。

この前、久しぶりに帰蝶が出てきました。

川口春奈さん演じる帰蝶さま、美しすぎます!!

川口春奈さんにはまったく興味がなかったのですが、帰蝶役がぴったりで好きな女優さんになりました。

今日は、織田信長の正室帰蝶について書こうと思います。

美濃国の大名斎藤道三の娘。
織田信長の正室。政略結婚で嫁ぐ。
濃姫・帰蝶という呼び名が広く知られている。
1535年生まれ。没年不明。
(『絵本太閤記』『武将感状記』『美濃国諸旧記』より)

帰蝶はいろいろな物語の題材にされており、たいていは濃姫か帰蝶という呼び名で登場します。濃姫というのは、美濃からきた姫、美濃姫の略です。昔は本名で呼ばないことが多くありました。

また、武家の男性は成長をともに名前を変えることが一般的でした。

父斎藤道三を殺した斎藤義龍は異母兄弟です。明智光秀とは従兄妹だといわれていますが、光秀の出自や若いころははっきりとわかっていないため正確なことはわかっていないそうです。

帰蝶は織田信長に嫁ぎましたが、実は再婚なんですよ!あまり知らない人も多いのではないでしょうか。

二人には子どもがいなかったといわれますが、女子については記録を残さないことが多いので、もしかしたら女子は生まれている可能性もあります。

帰蝶に関する文献はとても少ないんですよ。
帰蝶だけでなく、女性の文献はほとんど残っていないのです。ほんとうに残念。

女性が主役の大河ドラマは批判を受けがちですが、文献が少なく自由につくれるのが理由のひとつのようですね。

ドラマですから盛り上がりが必要ですし、歴史の人物と絡めたい。でもほんとうにそんなに絡みがあったの?となると、批判が起こります。

大河ドラマは史実に基づいたフィクションですが、文献が少ないとどうしてもフィクションだらけになってしまうのは当然かもしれませんね。

帰蝶に関する文献が少なくて1番困るのは、没年がわからないことではないでしょうか。

帰蝶には、嫁いで間もなく亡くなった説、本能寺の変で亡くなった説、信長死後も生存した説があります。
(※離縁説もあります)

早く亡くなった説には文献がなく、本能寺の変で亡くなった説も創作だといわれています。

生存説については、良質な資料に「信長本妻」、安土城から落ち延びた「北の方」、本能寺直後に日野城に避難した「信長公御台君達など」という記述があることからきているようです。

平成になってからの調査では、法名から帰蝶を推測し、78歳まで生きていたという発表がありますが、その説に反論している人もいるようです。

多くのドラマや小説での帰蝶は激しいしっかりものとして描かれることが多く、賢さとうつくしさで人気の高い姫です。

今回の大河ドラマでは気品あるうつくしい女性としてだけではなく、信長を支えるブレーンとして活躍している様子が描かれています。

個人的には名前も知られていないような女性を女性大河の主役にするのではなく、帰蝶など有名な人を主役にすればいいのにな、と思っています。
ガラシャとか、北条政子とか、おねとか、淀君とか。

『麒麟がくる』はこれから終盤。
信長の出番が増えるでしょうから、うつくしい帰蝶さまがたくさん見られるかもしれませんね。

お読みいただきありがとうございました。

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