歴史上の人物 細川幽斎(藤孝)

歴史

こんにちは。

わたしは大河ドラマを毎週楽しみにしており、そこに出てくる登場人物に興味が湧くことが多いです。

今は便利な時代になりました。
むかしは図書館などに行かないと調べられなかったことが、今はインターネットであっという間に調べられます。

大河ドラマを見ていてよくわからないときも、さくっと疑問を解決!

『麒麟がくる』に最初のほうから出てきている細川藤孝も、「だれそれ?」という感じだったので調べてみました。

細川藤孝は細川幽斎として知られる武将です。
幽斎は忠興の実父であり、ガラシャの義父にあたります。

細川忠興や細川ガラシャのほうが有名かもしれませんね。

幽斎は、確かな判断力のある武将であり、一流の文化人(歌人)でもあったそうです。

幽斎は室町幕府13代将軍の足利義輝に仕え、その後に15代将軍足利義昭に仕えます。
さらに、織田信長→豊臣秀吉→徳川家康に仕えているんですよ。
すごいですね。すべて勝ち進んだ人に仕えています!

幽斎には何度か選択をしなければならないことがありました。
まずは足利義昭から織田信長に主君を変えるとき。
次は本能寺の変のあと、明智光秀に助けを求められたとき。
豊臣秀吉が亡くなって関ヶ原の戦いが起こったとき。

幽斎はすべて勝者にくみしています。

細川家は代々室町幕府に仕えてきましたし、幽斎自体が足利将軍の落とし子という説もあるそうです。(幽斎の母親がもともと将軍の側室で、幽斎を身籠ったまま、父の三渕に嫁いだのではないかという説です。)

それなのに時勢を呼んで織田信長につく。

明智光秀の助けを断ったときも、苦渋の決断だったといえます。
光秀とはむかしからの同僚であり、息子の忠興は光秀の娘ガラシャと結婚しています。
それでも、幽斎は光秀を助けることはありませんでした。

秀吉の家来だったとしても三成の家来ではないですから、関ヶ原の戦いで家康側につくのは当然のことでしょう。

老年期の幽斎は、歌人として朝廷のまわりで大活躍していたそうです。それも親王が幽斎の弟子だったほど、すごい人だったとか。

もちろん、武将としても一流。70歳でも前線で戦っており、関ヶ原の戦いに大きく貢献しています。

そんなすばらしい武将・文化人である幽斎の息子が、愚息の忠興というのも不思議ですね。
忠興のことは、また機会があれば。

幽斎の時勢を読む才能は、その後も細川家に受け継がれていったのかもしれません。

細川家は長い江戸時代を耐え(なくなった家も多い。)、明治維新でも残り、大戦のときも消えずに残っているのです。

細川護熙元首相は、細川幽斎の子孫です。肥後熊本藩主だった肥後細川家の第18当主だそう。
現代になっても日本の中枢で活躍している細川家、ものすごいですね!

『麒麟がくる』では、最後まで出てくるだろう人物。
史実とフィクションで人物像に違いはあるかもしれませんが、それもひとつの説として楽しめたらなと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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